「帰ってきたヒトラー」感想

さっそく飽きて放置していましたが、皆さんは元気にお過ごしでしょうか。どうも、飛鳥色です。

先日、「帰ってきたヒトラー」をAmazonプライムで観たので、感想を綴ってみたいと思います。あ、ネタバレ注意です。





観たのは字幕版で、評判が良かったのでなんとなく視聴しました。

この映画はその名の通り、2014年のドイツにヒトラーが転移してくる場面から始まります。
当初は右も左も分からない状態だったヒトラーでしたが、新聞などで現代の政治情勢を知り、再び政治活動に興味を持ちます。そしてヒトラーに目をつけたジャーナリストと共に、映像を撮りつつドイツを巡るというのが最初の方の粗筋です。
その後、局長に見初められたヒトラーは多くのテレビ番組に出演するのですが、巡業の途中で犬を撃った映像が流出し、テレビから追い出されてしまいます。
しかし、その間に書いた本が大ヒットし、転移してから現在までの経緯が映画化されることになります。
撮影の途中でヒトラーと旅をしていたジャーナリストは彼が本物のヒトラーだと気づくのですが、銃で撃っても死なず、そのまま映画のクランクアップという体で物語が終わります。

この最後の場面が非常に凝っていて、あくまで現実という体で描写されながらも、映画の撮影というメタ的な視点が混在されており、「今の描写は本当に起こった事なのか?」といちいち疑う必要が出てきます。「帰ってきたヒトラー」という映画と、その中で撮影されている「帰ってきたヒトラー」が絡み合うことで、「現実」に自信が持てなくなってしまうのです。
ここに、「現代の政治風刺」という要素が加わるとどうなるでしょうか。
映画内で挙げられていた政治的な問題は、今まさに現代ドイツが直面しているものです。現代にヒトラーが帰ってくるという物語は荒唐無稽ですが、「もし本当に帰ってきたら我々はどのような反応をしてしまうのか」という問いが、映画を通して投げかけられています。そこに最後の場面での「メタの混在」が加わることで、我々が実際の政治問題に目を向けるような構造になっているのです。

そうした問いを支えるように、映画内の民衆の反応はかなりリアルなものです。実際に現代でヒトラーのような活動家がいたら人々は変人だと持て囃すでしょうし、強い意志とリーダーシップをもつヒトラーの賛同者は少なくないでしょう。
そして、映画の後半にて、そうした反応が当時のドイツでも見られたことが明示されます。これによって、独裁者を見極める難しさを観賞者に知らしめているのです。

ヒトラーは作品を通してコメディに描かれていますが、信条や性格は当時から変わっていません。あらすじや冒頭部分だけを見ると、ただヒトラーを茶化した映画のように思えてしまいますが、この作品の根底にはヒトラーの異常性への嫌悪と、その異常性に賛同してしまう群集心理への疑問があるように感じました。
この群集心理は現在も変わっておらず、映画が公開されたあともナショナリズムの高揚が世界的な傾向となっています。こんな現代にヒトラーが帰ってきたら人々はどうなってしまうのか、そしてそれは完全な妄想と言えるのか。そんな夢想をさせるような、示唆的で愉快な快作でした。